2014-01-01から1年間の記事一覧
人と関わることは、 よく知らないその人を知ることでも、 知らなかった自分に気づくことでもなく、 生まれゆく新しい何かに出逢うこと。生まれてくるのは、 これまでのその人の中にも、 いままでの自分の中にもない、 体験したことのない新しい何か。
身に着けてきた知識や技術、 培ってきた美意識は、 すべて人の手によるもの。今、勇気を出して、 それらをそぎおとし、 心を澄ませて、 大自然の姿を師と仰ごう。
重荷だと思っていることのほとんどは、 もやもやとした見通しの悪い雲のようなもの。進んで言いなりになっている思考の砦。 しみついた癖。こだわり。思い込み。もうどうでもいいのだと振り切ったら、 身ひとつで軽々と登頂し、勇気の花を摘んで、高らかに夜…
重ねてきたものが、 はがれる弱さと怖れを 生んでいたと知る。まとっているものが、 癒されることを 遠ざけていたと知る。むきだしの自分は、 傷つきようがないことも。
自分で引き寄せるものなど、 たかがしれている。 深呼吸して、リラックスして、 柵をはずし、鎧を脱ごう。やってくるのは、 挑戦かもしれないし、 抱擁かもしれない。波紋の軌跡は、 何もまとわない自分。
行動しないという選択は、 可能性という光で 絶望を遠巻きに回避した、 ゆるやかな挫折だと気づいているから、 こんなに苦しい。 古い青写真を捨て、消えないうちに、 虹の橋に一歩をかける。
私を甘えさせてくれないもの。
状況や感情に翻弄され、 ぐちゃぐちゃな自分がいたとしても、 言い訳を重ねたり、 そこから答えを探しだしたりせず、 全てをそぎ落としていくと、 シンプルという禊のような、 ありのままの自分。
なんということのない日常に 心の中に芽生えた気づきや決意は、 パーティの日や場所を決めて、 人を招かなくても、 自分のいるところがすべて、 内側からあふれ出した喜びで、 パーティ会場と化すセレブレーション。
未来を見晴らすことも、 過去に執着することもせず、 「今ここ」に在り続けることは、 すべての情報を遮断して、 自分自身にグラウンディングすること。 足踏みすればするほど、運ばれていく。見たこともない花の元へ。
口をつぐむことはできても 心のおしゃべりは止まらない。 嘆きや不安や悔やみや逡巡。 怒りや困惑。期待や予感。 そんな絶え間ないざわめきが鎮まる境地……。 手放しでも解放でも悟りでも瞑想でもない。静寂という名の究極のヒーリング。
本能に突き動かされるようにして、 回旋を始めた胎児が、 最初は、方向がわからなくて、 ものすごい力で、あちこちに ぶつかりながら降りてくるように、 やみくもに何かを目指してしまう時がある。その時こそ、力を抜いて、深呼吸。
自分のやりたいことではなく、 こうと決めたルールで動いている。 それは、いい人っぽかったり、 なりたい誰かのように見えること。 でも、そのことで押し込めた、 生まれ持つ、ありのままの何かが、そろそろ出たいとうずきはじめた。
豊かさは、 そうと気づかずに、 すでに在るもの。 潤いは、 そうと気づかずに、 満ちているもの。 気づかずあふれて、 そそぎ、そそがれるもの。
今、ぐるぐると悩んでいることの多くは 湧き出して覆いかぶさってきた雲。 「智慧」が欲しいのに、 「知識」という雲ばかりまとっている。 「知識の雲が「智慧」に変わったら それは「無知」ではなく「無垢」。雲は消え、澄みきっていく。
今、ここ。 何をやるのかということより、 どう取り組むかという姿勢が、 自分を豊かにも惨めにもする。 未来は幻想でも、 確かに足の下にある道を、全力で踏みしめる。
小さな灯を信じる。 熱さを感じて、動きを感じて、 身をゆだねる。 心をすませて、その声を聴く。 どんなときにも道しるべは、 自分の前ではなく、自分の中にあることを、識る。
今が幸福だと思うことは簡単。 安寧に身を委ねることも簡単。 だけど、 本気は技術。 使わなければ廃れていくだけ。 磨かなければ消えていくだけ。本気を眠らせるな。
まぎれていることは、 守られていることではなく、 同じようでいることは、 仲間であることとはちがう。 保護色をまとうことに長けすぎると もとの色を失くしてしまう。だから、ありのままになる。
目標は通過点であること。 ゴールの先には次のゴールが 数珠つなぎに連なっていて、 枯渇することのない創造は、 それらを一つ一つクリアしていく中で 生まれゆくものだと知る。そんな駆動力の車輪を手にする。
すべての準備ができたら あとは待つだけ。 準備とは、あれこれ思索することではなく、 アグレッシブに挑み続けることではなく、 眠りの時間の中で、 リセットしていくことや、再生していくこと。さなぎのように、夢見ていること。
自分を知られることを怖れて いろんなものをまとおうとするから ちぐはぐになる。 ありのままであることを、 自分にも他人にも赦したら、 虚構に疲れ、虚構に傷つくことなくありのままの真実をわかちあえる。
本質を照らす光は、 太陽の光のようでもなく、 月の光のようでもなく、 星の光のようでもなく、 闇も時空も次元も超えて、 隅々まで浮かび上がらせる。逃げ隠れできないもの。
何かが始まるときこそ、 無になること 無になるとは、ひらくこと。 拒絶のないこと。通路となること。 思考や感情や欲望から離れて、 ここちよくたゆたい、ひらいていること。
ここで一区切り。 それは、もうこれ以上関わっていても 今は答えが出ないということかもしれないし、 今、受け取れるものは 全て受け取ったということかもしれない。 だから、次に始まる何かに耳をすませる。
実存するための器を 探していたような日々の中で、 不意に自分が何だったのかが視えたら、 それを守りたいと願い、育てたいと欲する。 自分が産みだしていくものの 源がわかったら、あふれるものをさしだすだけ。
今、持っているものを 受けとってくれる人がいる。 何か別のものではなく、 何か別のものにする必要もなく、 多すぎることも少なすぎることもなく、 今、持っているそのままを、さしだしていい。
受容することは、 何もしないことではなく、 受容するために、 無であり、空であることに 貪欲なほど忙しく、 空になると同時に満たされて、境界すらないこと。
自分を幸せにするのは自分しかいない。 誰かに幸せにしてもらうことも、 誰かが幸せを運んでくることもない。 今、幸せになると宣言して、 今、愛されていると宣言して、 今、独りではないと宣言して、孤独から放たれていく夢。
流れのままにいて、流れのままに往く。 沈んでいるのか。浮かんでいるのか。 進んでいるのか。廻っているのか。 ただ、ここちよく、 ただ、ゆだね、 ただ、流れの中にいる。それは軌道。